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2022.04.06 紅シダレ と 御来庵された坂田利明さま。

 

                            

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                              (東行庵玄関前の紅シダレ)                                

 

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                    (椿園を坂田利明様とお嬢様が訪れたひととき)

 令和4年4月4日。東行庵の庭に紅シダレ5本を寄贈(昨春)、さらに、椿園の整備に多額の資金を支援していただきました、坂田利明様(山口市在住)と、お嬢様(鎌倉市在住)が、来庵してくださいました。

 この日に合わせるかのように、桜も満開で迎えてくれました。96歳の坂田利明様もお元気で、車いすながら、東行墓、奇兵隊士墓地、園路整備の完了した椿園をめぐっていただきました。

 椿園は、これから最終段階で、下関市内で日本ツバキ協会に登録された椿”玉仙”をはじめ11本のほか、銘椿を並べて観賞していただけるよう整備が進みます。どうぞご期待くださいませ。

  桜に話をもどします。東行池に花筏が浮かぶと間もなく、御衣黄桜が咲き始めます。ご覧になられたことございますか…。少々、お待ちください。やがてご紹介しますね。

 

 

 

 

 

 

2022.04.03 春爛漫 高杉東行先生も桜に囲まれ春満喫

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                                   (令和4年4月3日)

 晴天のもと、東行池の周囲は、桜が咲き揃い春爛漫です。このような晴天もめずらしいことです。これから10日もすると、156回の東行忌を迎えます。

 やがて御衣黄桜もご紹介いたしますが、東行墓前のアシビや小葉の三つ葉ツツジも、「私も紹介してよ」とばかりに、ツボミを膨らませています。コロナにお気をつけて、花の園、東行庵へどうぞお出かけくださいませ。

2022.04.01 満開。京都円山公園由縁の、八重キリンサクラです。

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                              (令和4年4月1日:東行池)

 東行池の桜が満開となりました。池の周囲には、およそ100本の桜がありますが、その中でひときわきれいな桜をご紹介しましょう。それは、第三代谷玉仙庵主が、京都の円山公園から取り寄せた、と伝えられる八重シダレ桜・キリンです。2本のうちの一本です。植えられたのは、もう50年も前のことになるとおもわれます。

 東行庵の境内には、昨年加わった紅シダレも6本あり、桜の名所の地位を高めています。これから1週間、楽しんでいただけると思います。

 

 

2022.03.27 サクラ 咲きましたよー。

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                           (令和4年3月27日)

 

 桜。咲きましたよー。東行庵玄関前の桜が、咲きました。蕾が大きくふくらんだ、と思っていましたら,ほんの4日ほどで開きました。春の訪れです。

 梅から椿に移り、桜と進んできました。

 東行庵の桜は、境内に約100本を数えますが、東行先生の顕彰碑裏の「山サクラ」がすでに満開です。池の周囲はこれからです。昨春から、”紅シダレ”6本が加わり、この花が咲きましたら、次にご紹介します。

 このほかに、第3代谷玉仙庵主が、京都の丸山公園から取り寄せた自慢のシダレ桜「八重のキリン桜」も、すばらしくきれいです。さらに、最後を飾る「御衣黄桜」も見逃せません。次々にご紹介します。どうぞお楽しみに!

 

 

2022.03.21 千本椿園 満開。園路整備完了

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 3月21日現在、東行庵の千本ツバキ園、満開です。園路の整備も完了し、椿園を一周することが出来るようになりました。また、園内も縦横に散策を楽しんでいただけるよう整備が完了しました。

 昨年の10月1日、第三代谷玉仙庵主の33回忌記念事業として、千本ツバキ園の整備が始まり、このほど完了しました。

 谷玉仙庵主は、椿が好きなかたで、五島列島の”玉の浦”というツバキをもとめ、自慢しておられました。現在は、第三駐車場の聖観音菩薩像への大きな参道入り口右にあり、大きな木に成長しています。花弁の外側に白い覆輪があります。その”玉の浦”と西洋椿”フレイム”が自然交配し、誕生したのが”玉仙”という名前で、昨年、日本ツバキ協会に新規登録されたことは、ご存知のとおりです。

 千本ツバキ園には、白、赤、ピンク、シボリ、八重、一重、など多くの種類、約千本が咲き誇り、満開の時を迎えています。どうぞ、春を楽しみにおでかけくださいませ。

 桜も昨年春、シダレ桜6本が加わり、桜の名称としての名声が高まりました。4月上旬には、満開を迎えることと思われます。桜見物にもどうぞお越しくださいませ。

2022.03.11 高杉晋作顕彰碑前で、立志式

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                                (高杉晋作顕彰碑前で)

 令和4年3月11日、山陽小野田市立:厚狭中学校の生徒125人が、午前7時に学校を出発。約14㌔を、3時間余りかけて東行庵清水山に到着。小休止ののち、高杉晋作顕彰碑前の広場で、15人ずつ前に出て、「社会貢献できる人」「何事にも全力」など一人づつが将来への誓いの言葉を述べました。食事ののち、東行庵の境内を散策し、帰路につきました。

 厚狭中学校では高杉晋作の顕彰碑の前で、「立志式」を例年開催。心に残る年中行事に、高杉晋作が好んだ梅も満開で、微笑んでいました。

 

 

 

 

 

2022.02.26 玉仙ツバキ 東行庵へ里帰り

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                           (2月26日:午後2時:東行庵玄関)

 一年振りに、玉仙ツバキが、東行庵の玄関に里帰りしました。玉仙ツバキは、令和3年3月12日、日本ツバキ協会に、登録された新種ツバキです。木本豊彦さん(下関市菊川町在住)が、登録91号で認定を受けたものです。

 玉仙の意味は、高杉晋作の菩提寺東行庵の第三世庵主:谷玉仙尼のお名前です。昨年の10月1日に33回忌が営まれました。

 市報しものせきの、3月1日号には「椿特集」として、下関市内から日本ツバキ協会に登録されている11種類の銘椿が紹介されていますが、その中にこの「玉仙ツバキ」がありますことから、2週間ほど、木本豊彦さんにお願いし、東行庵の玄関にお借りしているものです。そうです。里帰りされたのです。

 では、玉仙ツバキ、梅園をめぐり、春の訪れをお楽しみくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

2022.02.18 近く、 梅のみごろ

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                               (令和4年2月18日:梅園)

  お待たせしました。いよいよ、梅の時期到来です。これから下旬が見ごろになると思います。今朝も、東行墓は、うっすらと雪化粧で、名残雪、に包まれていました。

 禅の教えに「梅は寒苦を経て清香を発す」というのがあります。厳しい寒さを経て、やがて清らかな香りを辺りにふりまく。というものですが、まさにこの時期に咲く、梅そのものですね。

 高杉晋作は、ご存知のように苦難の道を経て明治維新の実現に尽くしました。萩から九州へと逃避するときは、谷梅之助と変名してのことですが、長男には「梅之進」(のち東一)と名づけ、愛人おうのに贈った茶杓の銘は「梅處」でした。そうして初代庵主は「梅処尼」2代庵主は「梅仙尼」と称しました。墓守りに勤めたその行いは、清香そのものと言えましょう。

 梅園のすぐ上の山辺には、高杉東行(晋作)、梅処・梅仙・さらに三代目の玉仙尼が眠っています。どうぞ、ごゆっくり清香をお楽しみくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.02.03 梅がほころび初めました。

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 令和4年2月3日、節分の日、東行庵梅園の梅が、ほころび初めました。まだまだ、2分咲き程度ですが、空もくっきりと晴れ、青空に、紅梅と白の梅が、春の到来を告げています。見ごろは、2月13日ころからと思われます。もうしばらくコロナで自粛され、どうぞ、花見にお出かけくださいませ。

 

2022.01.31 山縣有朋歿後100年

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                       山縣有朋銅像除幕式(2015:4:14)

 令和4年2月1日、山縣有朋は歿後100年を迎えました。この像は、平成27年4月14日に再建除幕されたものです。山縣有朋像は、昭和8(1933)年10月21日に、最初の銅像が建立されたものの、10年後の昭和18年、第二次世界大戦で金属物資を補充するため、撤去されて銅の一片となりました。それを、72年後に再び建立されたのです。

 歿後100年を機に、再建への敬意を記すことにします。

 高杉東行先生の菩提所東行庵は、明治17(1884)年、初代庵主梅処尼が建立したものです。その梅処尼を支援したのは、伊藤博文などをはじめ多くの人がいますが、山縣有朋もその一人でした。山縣有朋は友子夫人と、同所にあった「無鄰菴」で過ごしていましたが、ヨーロッパへ出かけるに際し、その建物を、高杉東行先生の墓守をすることになった、梅処尼に譲ったのです。それは、山縣有朋が高杉晋作によって、奇兵隊のナンバー2まで、引き立ててもらった恩義

によるものでした。

 その厚意に、吉田地域の人々は、恩義のお返しとして、昭和8年、銅像を建立したのです。場所は、現在、高杉東行陶像の建立場所で、台座はそのまま使われています。

 そして、平成27年、供出から72年後、吉田地域や全国の高杉東行先生を慕う人々によって、

恩義を感じる心の現れとして、写真の除幕式が行われたのです。この行為は、後世に引き継ぐべき、素晴らしい出来事として受け継がれることでしょう。

(像の前で、山縣有朋の子孫、山縣有徳氏はその思いを述べられました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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