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2023.03.28 桜、満開です。

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2023.03.23 一般公開します。

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                                  (昨年の桜です)    

 東行庵を一般公開します。日時は、5月3日~5日、時間は午前9時30分から、午後3時で、

 入館料は無料です。

 館内には、東行先生の位牌は、勿論、初代庵主梅処尼、二代庵主梅仙尼、三代庵主谷玉仙尼の位牌も拝することが出来ます。

 また、伊藤博文、山縣有朋、安倍晋三、三人の方の扁額に加え、岸信介の般若心経の筆を見ることができます。この機会にどうぞお出かけください。

 のんびりできるかたは、庭の水琴窟もお楽しみください。

 

   

2023.03.19 椿サミットで認定書を受領

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                  認定書             白紅淑女           白長寿

                                  

 令和5年3月18日、萩市民会館で、日本ツバキ協会の全国サミットが開催され、東行庵から新品種登録申請をしていた、「白長寿」と「白紅淑女」が、見事に認定され、上写真の認定書の交付を受けました。

 東行庵の第三代庵主谷玉仙尼と親交の深かった坂田利明さん(山口市在住)へのお礼に、2本の椿にご令息様が97歳の父の長寿に感謝し「白長寿」、お嬢様が母の名前淑子から「白紅淑女」と、それぞれ命名されたものです。

 いずれも木本豊彦さん(菊川町在住)の庭に咲いた花から選ばれたもので、すでに東行庵の椿園できれいな花をつけています。

 東行庵では、これを機会に椿園の整備をすすめ、3月末には完成し、三代庵主(谷玉仙尼)の名前に有縁する「玉仙」と共に、下関市内で登録された13本全てを含め、約1000本の椿が見事に咲き誇っています。

 場所は、第3駐車場のそばです。どうぞおでかけくださいませ。お待ちしています。

 

 

2023.03.11 椿と雪割草展始まる

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                                    令和5年3月11日

 椿と雪割草展が、スタートしました。11日~13日までの3日間です、早朝から早くもお客さまです。雪割草の展示は、市内で初めてのことです。清末町の大末和廣さんが、大切に育ててくださった、21鉢が並んでいます。

 椿は、これまた三代目庵主谷玉仙尼に由縁の「玉仙」が展示されています。さらに、今年3月18日に、日本ツバキ協会に登録内定の「白長寿」と「白紅淑女」も展示されています。椿は菊川町の木本豊彦さん、と吉母町の山本茂さんの御協力によるものです。梅もまだまだ満開です。どうぞおでかけくださいませ。

 

 

 

 

 

2023.03.03 ツバキと雪割草展覧会へどうぞ

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 いよいよ春ですねー。3月3日、東行庵の梅が満開となりました。

 では、次は…、というところで、「ツバキと雪割草」の展覧会へのお誘いです。

 3月11日(金曜日)から13日(月曜日)の3日間ですが、楽しみな展覧会になりますよ。

 現在、東行庵の玄関には、出典候補の苗木がずらりと並び、出番を待っています。日本ツバキ協会登録第1号から、110号まで、その内、花開いたものを展示します。

 もちろん、登録外の花もあり、私も忘れないで…、といったところです。

 そして、さらに名実ともに花を添えるのは、雪割草です。雪割草は椿に比べ繊細な花で、本来、東北地方で見られる花で、西日本では容易に見ることができません。下関市清末町在住の大末和廣さんの御協力があってこその展覧会です。ご本人が申されるには、日光に当てる時間を計算して、会期中に開花するよう努めます。とのことで、大変なご労苦が必要のようです。それだけに、是非見たい花でもありますね。

 11日からです。いましばらくお待ちくださいませね。

 

 

 

2023.02.27 梅、満開近し、ウグイス初音

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                                 (令和5年2月27日)

 本日早朝、東行墓や顕彰碑などをめぐると、ホ~、と、ウグイスの初音です。やっと、春の訪れです。うれしいですね。

 梅園には、晴天の下、散策の姿が多数みうけられました。次の日曜日、3月5日が満開と思われます。

 HP(ホームページ)の世界では、何人の方が検索してくださったかが、毎日わかるようになっています。全国から東行庵の梅に、何人のかたが関心を持ってくださっているか、を知るバロメーターです。制作者からすると、楽しみな一瞬です。

 そこで、数字です。昨日の2月26日、全国から210人の方が、アクセスしてくださっていました。今シーズン最大の数字です。やー、うれしいことです。

 では、予告ですが。3月11日(土)~13日(月)、東行庵の講堂で「ツバキと雪割草」の展覧会を開催します。近く、正式な予告をいたします。お出かけを楽しみにしています。

 

 

 

 

2023.02.17 梅、紅白競演

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                              (令和5年2月17日)

 遅れていた梅がやっと、咲き初めました。競演とまではまだ1週間かかり、三分咲きというところです、取材していますと、近くの幼稚園の園児が訪れて、誕生日の子どもを囲み、ハッピーバースデ……と歌い、すがすがしい気持ちになりました。

 また、親孝行の娘さんが、脚力の衰えた母親を車に乗せ、ドアに気をつかいながら降ろし、手を添えて、梅園へと向かいました。

 さあ、花の季節の到来です。3月11日から13日まで、「ツバキと雪割草・展」も講堂で開催します。ここでも親孝行の姿を拝見したいものです。どうぞ、お出かけください。

 

 

2023.02.04 清香を発す。紅梅開花

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                                  (令和5年2月4日)

 節分を経て、やっと、紅梅が咲き初めました。まだまだ100本の中で、4,5本です。でも、今日は午後から晴天になり、待っていたかいがありました。

 本番はまだまだ、中旬になってからでしょう。もうしばらくお待ちくださいませ。

 お待ちいただく間に、素晴らしい出会いのお話を紹介しましょう。

 お昼前、玄関ホールへ出ると、お母さんと少年の姿があり、「どちらから、来られましたか」と声をかけると「防府市です。この子供が連れてって」、と笑顔のお母さんの声です。お尋ねすると、少年は玉祖小学校3年生とのことでした。そうですかー、子どもさんの意志で来られたのですかー。と声をかけ、「では、ここへおかけなさい。」といって、高杉晋作について、あれこれお話し、「高杉晋作は、上海へ行ったことがすばらしいことで、日本の近代化を進めるため、東へ行く(江戸幕府を倒す目的)と、名前を”東行”、としたのです。」などなどです。

 かなりの時間がたち「私は、下関商業高校1年生のとき、担任の三浦先生が ”よく学び、よく遊べ” が大切なんだ、と言ったことを大切に、ここまで人生を歩いてきました」と言ったところ、「僕もです。」とのこと、どっきりです。

「小学校1年生の時に、後藤先生がその言葉をおっしゃって、いまも大切にしています」とのこと偶然にも恩師の言葉が一致し、えーえー、と、お母さんともどもおどろきました。

この少年が大成する姿を見たいものと、望みましたが、私の人生が及びません。でも、見たいものですねー。

 晴天下の紅梅は「清香」をともなっていました。

 

2023.01.26 雪の東行庵庭 訪れる人も

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                                 (令和5年1月26日)

 朝、いつものように東行庵に着くと、東行池には薄い氷がはり、その上に粉雪がぱらぱらと。

お昼前、記念館にその雪の中を訪れた女性がいました。どこから来られたのですか。と声をかけると、神奈川から来ました。東行先生のファンですか、と尋ねると、いえ、山縣有朋の庭に興味がありまして…。とのこと。

 では、記念館を見られたら、声をかけてください。と…。

 東行庵の雨戸を開けると、ぱっと、銀世界です。京都の無鄰菴には何度もおとずれました。と言いながら、雪の庭に驚いていました。残念ながら、山縣有朋は明治2年に、ヨーロッパへ旅立つ前、ここ無鄰菴を、高杉晋作の愛人:おうのさんへ譲り、そこに住んでいましたが、狭い建物ですから東京へ行き、奇兵隊士を回って支援金を集め、この建物を、明治17年に建築しました。この額が山縣有朋の書です。「春為物与」の含雪の書を紹介しました。

 背後の山へ登られ、高杉晋作の石像(立ち姿)と、山縣有朋の座像(ブロンズ)の意味もほんの少々説明し、暖かくなったら、また、ご来訪ください。と見送りました。

※無隣庵は、上の写真の位置にあったと思われます。現在は、お茶室に名前が継承されています。 

 

2023.01.20 木屋川中学校、顕彰碑前で、立志式

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                                 (令和5年1月20日)

 令和5年1月20日、下関市立木屋川中学校の2年生、42人が、高杉晋作の顕彰碑を背に、立志式を行いました。同校は毎年の行事で、父兄の皆さんが見つめるなか、緊張した姿の我が子の心意気に聞きいっていました。

 信・笑・優・咲・挑・和など、の一字を記した色紙を手に、将来の自分の生き方を、堂々と述べる姿は、頼もしいものでした。

 この場所のすぐ上の壇には、「東行墓」もあり、高杉晋作先生も聞き耳をたて、現在の若者の姿に、自分の生き方を学べよと、声援していたことでしょう。

 時折、寒風が吹き寄せていましたが、下方の梅園では梅が一輪咲き初めていました。

 高杉晋作は、梅を愛し、梅之助とも称していましたが、”梅は寒苦をへて清香を発す”。この若者たちが、きっと素晴らしい人生を送ってくれることと思います。

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