お知らせ
最初 <<前 |1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|13|14|15|16|17|18|19|20|21|22|23|24|25|26|27 | 次>> 最後
2022.02.03 梅がほころび初めました。
令和4年2月3日、節分の日、東行庵梅園の梅が、ほころび初めました。まだまだ、2分咲き程度ですが、空もくっきりと晴れ、青空に、紅梅と白の梅が、春の到来を告げています。見ごろは、2月13日ころからと思われます。もうしばらくコロナで自粛され、どうぞ、花見にお出かけくださいませ。
2022.01.31 山縣有朋歿後100年
山縣有朋銅像除幕式(2015:4:14)
令和4年2月1日、山縣有朋は歿後100年を迎えました。この像は、平成27年4月14日に再建除幕されたものです。山縣有朋像は、昭和8(1933)年10月21日に、最初の銅像が建立されたものの、10年後の昭和18年、第二次世界大戦で金属物資を補充するため、撤去されて銅の一片となりました。それを、72年後に再び建立されたのです。
歿後100年を機に、再建への敬意を記すことにします。
高杉東行先生の菩提所東行庵は、明治17(1884)年、初代庵主梅処尼が建立したものです。その梅処尼を支援したのは、伊藤博文などをはじめ多くの人がいますが、山縣有朋もその一人でした。山縣有朋は友子夫人と、同所にあった「無鄰菴」で過ごしていましたが、ヨーロッパへ出かけるに際し、その建物を、高杉東行先生の墓守をすることになった、梅処尼に譲ったのです。それは、山縣有朋が高杉晋作によって、奇兵隊のナンバー2まで、引き立ててもらった恩義
によるものでした。
その厚意に、吉田地域の人々は、恩義のお返しとして、昭和8年、銅像を建立したのです。場所は、現在、高杉東行陶像の建立場所で、台座はそのまま使われています。
そして、平成27年、供出から72年後、吉田地域や全国の高杉東行先生を慕う人々によって、
恩義を感じる心の現れとして、写真の除幕式が行われたのです。この行為は、後世に引き継ぐべき、素晴らしい出来事として受け継がれることでしょう。
(像の前で、山縣有朋の子孫、山縣有徳氏はその思いを述べられました)
2022.01.25 東行庵箒の会:厚生労働大臣表彰
(令和3年11月14日)
(令和4年1月25日受領)
東行庵に嬉しいニュースです。毎月14日、東行庵清水山の史跡高杉東行墓をはじめ、奇兵隊及び諸隊士の墓(140基)の周囲を、平成6年(1994)以来、下関市内外約30人の会員が、早朝8時から清掃活動を続けること27年。このたび厚生労働大臣から、ボランテイア功労団体として表彰を受けました。令和3年11月19日付けではありますが、令和4年1月25日、下関市役所で前田晋太郎市長から、賞状が渡され、齊藤淳四郎代表が受取りました。
箒の会のメンバーは、50歳代から80歳代の男女で編成され、時間が来ると、それぞれが自然に受け持ち区域を率先して清掃を開始し、終えると全員が集合し、東行庵境内の風物を話題に、疲れを癒し、晴れ晴れとしたひと時を過ごします。
東行庵近くのかたで、ご希望の方はどうぞ、お誘いのうえご参加くださいませ、お待ちしています。
2022.01.21 高杉晋作顕彰碑前で、立志式
令和4年1月21日、東行庵清水山の高杉晋作:顕彰碑前で、木屋川中学校(打田敦志校長)2年生29名が、立志式を行いました。
同校では、毎年この時期に、2年生が行なっています。(昨年はコロナで中止)
「立志式」は、立志の誓いを考えることを通して、これまでの生き方を見つめ、将来の人生を前向きに生きて行こうとする決意を示すものです。各人が、将来を一文字に表し、正々堂々と発表いたしました。寒気のなかでしたが、一人ひとり終わるごとに、温かい拍手が送られ、校風がうかがわれました。
高杉晋作の顕彰碑を背に、それぞれが誓いの言葉を述べるというすばらしい環境は,他にあり得ないことです。
高杉晋作は、師:吉田松陰の遺言『留魂録』の一節「天下の事をなすは、天下有志の士の志を通ずるにあらざれば得ず」を、心に深くとどめ、奇兵隊を創設の際には、「志を同じくする者は身分を問わない、集うように」、と隊士を募りました。その奇兵隊の挙兵こそ明治維新への第一歩でした。
高杉晋作の顕彰碑を背に、各人が誓いの言葉を述べた意味は、これからの人生にとって、忘れることの出来ない、意義深いこととして心に残ることと確信しています。
2022.01.08 しめやかに 第7世松野實應庵主さま1周忌
松野實應庵主さま1周忌(慈光寺)
令和3年1月8日、遷化された東行庵7世、松野實應庵主さまの1周忌が、令和4年1月8日、慈光寺でしめやかに執り行われました。松野實應庵主さまは、89歳でしたが、「生涯現役、100歳まで頑張りますよ」と申しておられましたが、クモ膜下により急逝されたのでした。
3日前の1月5日には、年始の祝祷諷経のお経を東行庵仏間であげていただき、年始のご挨拶を笑顔で語っておられましたのに、人生のはかなさを身をもって教示されました。
しかし、まもなく第8世として、高杉晋作の挙兵の地として全国に知られる、功山寺(下関市長府川端町)の有福孝岳住職に兼務していただくことができ、東行庵はますます高杉晋作の菩提寺として、一段の輝きを増しています。
東行庵の”千本椿園”(第3駐車場の奥)は、園路の整備が完了し、散策に好適な場所となりました。まもなく”玉の浦”など銘花の競演となります。
また、2月19日(土)から23日(水・祝)には、銘椿”玉仙”の日本ツバキ協会登録記念1周年を祝賀し、椿展(約100種)を開催いたします。どうぞ皆様のお出かけをお待ちしています。
2022.01.01 新年を迎えた 高杉晋作と山縣有朋、の像
高杉晋作陶像と山縣有朋銅像
令和4年1月1日、新年の陽光を浴びた2体の像です。上の立像は高杉晋作(東行)の陶像、下の座像は山縣有朋の銅像です。
建立の年月日は、高杉晋作像が、昭和31(1956)年11月26日。山縣有朋像は、平成
27(2015)年4月14日です。
これからの記述は、「知る人ぞ知る」の範疇になります。上に位置する高杉晋作像の台座には、旧山縣有朋の立像がありました。昭和8(1933)年10月21日建立、同18(1943)年,金属供出により撤去です。その台座を利用して、高杉晋作の陶像が設置されましたのが、昭和31年のことです。陶像ですと、再び金属供出の憂き目に遭うことはない、という判断です。
山縣有朋像は、平成27(2015)年に再建されましたが、姿は座像に変化しました。2体になった時、どちらが立像かの理由は、あえて説明は不要と思います。
下関地方の元日の天候は、実にやわらかな光で、年頭を祝福するにふさわしい日差しでした。しかし、国史跡指定の「東行墓」に参拝し、花立と水鉢に新たな水を注ごうとすると、なんと、分厚い氷に拒否されてしまいました。お供えされていた、ワンカップのお酒を望まれていたのでしょうか…。その答えはお任せしましょう。
今年2月1日は、山縣有朋が没した1922年から100年です。その機会には正面からの銅像をご紹介します。
2021.12.18 歳末行事 掃苔会を終了
聖観音菩薩 掃苔会を終了
12月18日、小雪が舞ったのち思いがけず日が差し、一年ぶりに清らかになった聖観音菩薩像が一条の光に輝きました。
午前9時から世話人一同による、高圧水や雑巾による手拭きで清掃が行われました。10時30分、有福孝岳兼務住職による「大乘妙典観世音菩薩普門品偈」を参加者30名が読誦。その後、法話をお聞きし、東行庵の歳末行事「掃苔会」(そうたいえ)を、終了しました。
昭和48年 清水山の御本尊として安置された石像聖観音菩薩は、台座を含む高さが6㍍もあります。岡崎市の大仏師鈴木智朗氏により制作されたものです。第1回の掃苔会は、昭和55年に行われ、今回は42回目でした。
令和3年も暮れましたが、皆々様におかれましては、どうぞご多幸の年をお迎えくださいますよう祈念いたします。
2021.12.06 銘椿<錦葉・西王母> 玄関に登場。
銘椿:錦葉・西王母
さあー、椿のシーズン到来です。東行庵の玄関に、銘椿:錦葉・西王母(せいおうぼ)が登場しました。
去る3日、下関市吉母町の園芸家、山本茂さんが、届けてくださいました。
ご覧のとおり、葉っぱには黄色の斑が入っていて、珍しいものです。
花は、淡桃色の地に 外弁には紅色のぼかしが入っています。一重の筒咲きです。
ツボミもたくさんついています。20日ころまで楽しんでいただけそうです。
どうぞ、お立ち寄りくださいませ。
2021.11.25 紅葉からサザンカへ。
サザンカ(富士の峰)
東行池とサザンカ
紅に燃えた清水山でしたが、時は移ろい、サザンカの時となりました。
東行池を中心に、およそ200本のサザンカが咲き誇っています。白、紅、シボリ、八重など多彩なサザンカです。
椿に先立ちてのひと時を謳歌している感です。サザンカは、花びら一枚一枚が散ってゆきますから、花びらのじゅうたんも楽しめます。12月中旬までが見頃で、やがて、椿へと移ってゆく、東行庵の花の園です。
第3駐車場の奥、「千本椿園」は、実数が千本以上あります。現在、散策が気楽にできるように、整備を進めています。新年を迎えると、講堂で「椿展」も計画しています。どうぞお楽しみに!。
2021.11.19 紅葉惜景 二題
(東行庵第3世谷玉仙尼と秋景)
(高杉東行顕彰碑秀景)
いよいよ名残の秋景となりました。上は、令和3年10月1日、33回忌が営まれた、東行庵第三世中興春林玉仙大和尚の墓です。すばらしい笑顔でいつも対応してくださったひと時が思い出されます。存命でしたら、100余歳ですが、あの笑顔は永遠のものです。
下は、高杉東行先生の顕彰碑です。朝の光線が入り輝いている部分右に「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し…」の名言があります。早朝、ほんの一刻のみシャッターチャンスがあります。年が明けると、中学校2校の生徒がこの碑の前で「立志式」を行います。この碑にとって最もふさわしい行事で、今から楽しみにしているところです。
最初 <<前 |1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12|13|14|15|16|17|18|19|20|21|22|23|24|25|26|27 | 次>> 最後