お知らせ
2023.01.26 雪の東行庵庭 訪れる人も
(令和5年1月26日)
朝、いつものように東行庵に着くと、東行池には薄い氷がはり、その上に粉雪がぱらぱらと。
お昼前、記念館にその雪の中を訪れた女性がいました。どこから来られたのですか。と声をかけると、神奈川から来ました。東行先生のファンですか、と尋ねると、いえ、山縣有朋の庭に興味がありまして…。とのこと。
では、記念館を見られたら、声をかけてください。と…。
東行庵の雨戸を開けると、ぱっと、銀世界です。京都の無鄰菴には何度もおとずれました。と言いながら、雪の庭に驚いていました。残念ながら、山縣有朋は明治2年に、ヨーロッパへ旅立つ前、ここ無鄰菴を、高杉晋作の愛人:おうのさんへ譲り、そこに住んでいましたが、狭い建物ですから東京へ行き、奇兵隊士を回って支援金を集め、この建物を、明治17年に建築しました。この額が山縣有朋の書です。「春為物与」の含雪の書を紹介しました。
背後の山へ登られ、高杉晋作の石像(立ち姿)と、山縣有朋の座像(ブロンズ)の意味もほんの少々説明し、暖かくなったら、また、ご来訪ください。と見送りました。
※無隣庵は、上の写真の位置にあったと思われます。現在は、お茶室に名前が継承されています。