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2020.07.30 山縣有朋公、月桂樹 手植えの意味

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東行庵清水山、史跡:高杉東行墓近くの広場に「公爵山縣有朋閣下手植月桂樹」裏には「明治四十四年十一月七日」と刻まれた石柱があります。なぜ、月桂樹を植えられたのだろうか、が疑問でした。月桂樹といえば、オリンピック、予定通りであれば東京大会開催中。をヒントとしました。

この碑のすぐそばには、”動けば雷電の如く 発すれば風雨のごとし…”の、東行先生の顕彰碑があります。顕彰碑の除幕はこの年の5月20日でしたが、山縣有朋は、病で出席できず、11月7日に訪れ、記念の植樹をした次第です。

では、月桂樹ですが、次の年、明治四十五(1912年)が第5回オリンピックの開催で、日本が初参加。金栗四三と三島弥彦の二人が、日本海を船で渡り、シベリア鉄道を経て参加しています。二人に優勝を願って月桂樹を植えたのではないでしょうか。過大な推論ですね。月桂樹の大きさは幹回り1・5メートル、高さは20メートル近くあります。

 ※金栗四三は、27キロ地点で倒れましたが、その後、えー、というエピソードがあります。

 それは、皆さんの検索のご褒美と、いたしましょう。


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