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2020.10.17 東行庵:秋の行事など、

萩の花が終わりを告げると、サザンカが、鮮やかなピンクの花を開き、秋の到来を告げています。

東行庵の秋の行事でが、以下のように、新型コロナには勝てず、縮小を余儀なくされています。

●11月14日 奇兵隊及び諸隊士慰霊祭 (中止)(納経、役員のみでのご焼香)

●11月上旬~下旬 紅葉のライトアップ(中止)

 ※どうぞ、昼間に散策されてください。今年からバリアフリー化され、車椅子で近くから鑑賞

  することができます。

2020.10.10 アサギマダラ 東行墓へ墓参

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 10月10日、(昨年も同日)、フジバカマにアサギマダラが飛来しました。アサギマダラは、”旅をする蝶”として、知られている蝶です。高杉東行のお墓からわずかに50メートルほどの距離に、王喜町在住の藤本一也さんのご厚意で、毎年、フジバカマの鉢を届けて頂いています。

 高杉東行は、旅をした最遠地は、上海で、直線距離約1000キロです。アサギマダラの旅は、下関から約1600キロの台湾です。(昨年:山陽小野田市在住の福村拓己さん:マーキングで確認)

 今年は、福村さんのマーキングしたアサギマダラが、上海に着いた。などの吉報が待たれます。 

 

2020.09.30 椿の新品種”玉仙”など3種を登録申請

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                          (新品種登録申請の”玉仙”ギョクセン)

 宗教法人東行庵の第三世庵主・谷玉仙尼は、来年10月1日、三十三回忌を迎えます。谷玉仙庵主は現在の東行庵の隆盛を築かれた「中興の祖」と称されています。

 折しも、下関市菊川町在住の木本豊彦(東行庵椿を守る会会長)さんは、今春、みごとに咲き誇った椿3種を見つけ、それぞれに名称をつけ、日本椿協会に新品種登録申請をされました。

 ”玉仙”は、玉の浦と西洋種の自然実生で、原木の根回りは、15センチほどで、上の写真のように、花弁の白と赤のコントラストがすばらしい花です。

 このほかにも、”おうのさん椿”と“梅仙”を、同時申請しています。

 ”おうのさん椿”は、初代庵主梅処(おうのさん)に由来する名称で、花心のまとまりがすばらしい花です。

 “梅仙”(バイセン)は、二代庵主梅仙に由来する名称で、ツボミのシボリが見事な花です。

 この三代庵主椿が登録され、東行庵に現存する「千本椿園」に、加わって咲き誇る光景を、ご紹介するのが、今から楽しみです。

2020.09.20 吉田長寿会のみなさん、清掃奉仕に感謝

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 令和2年9月20日、午前8時、吉田長寿会(田中秀雄会長)の皆さん16名が、東行庵に草刈り機を持参して集合され、約1時間をかけて、東行池周辺の夏草を切り払ってくださいました。

 東行庵は、境内地が広く、地域の皆さんが声を掛け合って、四季折々に清掃作業をしてくださって、来訪者からも喜ばれています。

 高齢のみなさまの作業を終えてのすがすがしいお姿に、感謝の念でいっぱいでございます。

2020.09.08 東行庵と安倍総理

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 安倍晋三内閣総理大臣が、体調の理由から辞任されることになりました。総理のお父さまのお名前は「安倍晋太郎」で、共に「晋」を使われ、高杉晋作の「晋」に有縁であることは、ご存知のとおりです。

 前回8月27日付けの本稿写真、高杉晋作銅像は平成26年3月30日、昭惠夫人によって除幕されました。この像の礎石には、総理自筆の「高杉晋作像 内閣総理大臣安倍晋三」の銘板がありますことから、同年7月19日、ご本人安倍晋三総理が来庵されました。その節、書をお願いいたしましたところ、間もなく届きましたのが、写真の書で、扁額に収められています。

「和人在楽」(楽しみは人と人との和にあり)の扁額は、東行庵の仏間に掲示されています。

安倍総理の病が一日も早く全快され、この言葉のように、和にあふれる社会となりますことを祈念しています。

 

 

 

2020.08.27 東行先生を、白サギが見舞う。

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「酷暑の夏、コロナの夏、東行先生お元気でしたか」。この言葉は、見舞いに訪れた白サギさんの言葉です。

東行先生の答礼は「僕の時代、幕末はコロナではなく、コレラが蔓延し、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したことで有名な、関門海峡の”巌流島”には、コレラ患者の隔離病院があったのだよ」。

「いつの時代も、体には、気をつけようね」

このような会話を想定してみました。読者のみなさまへ、東行先生の銅像、真横から癒しの一コマです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.08.17 吉田松陰先生陶像の足跡

 

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 東行庵講堂に吉田松陰先生の萩焼陶像が、以前から安置されています。しかしながら、伝来の足跡が長く不明でした。ところが、最近のことその足跡が判明しましたので、ご紹介しましょう。

 吉田松陰先生は、「まず地理を見よ」などの教えがあり、多くの旅をされていますが、この陶像も、萩で製作されたのち、なんと薩摩藩・鹿児島まで旅をし、その後、長州藩、それも松下村塾の双璧の一人、高杉晋作の菩提寺東行庵を安住の地とされているのです。

 松陰先生の陶像は、萩の二代目中野麑林(げいりん)氏によって、一品造りで製作されたものです。手に入れられたのは、吉田松陰先生を尊敬されていた、下関市豊浦町川棚から鹿児島へ移られた丸元唯雄・テツさん夫妻でした。唯雄さんが亡くなられた後、妻のテツさんは像の将来を按じ、親戚の皆さんに相談ののち、東行庵への寄贈を決意。昭和54年、鹿児島から車で運ばれたのが、甥の福本敏男さんでした。

 当時は、第三代谷玉仙庵主の時代で、東行庵の縁側で長距離の運転をお抹茶でねぎらわれたそうです。

 東行庵境内の清水窯正岡隆峰さんの師匠・萩焼東光寺窯麑林松村拓夫さんが7月、東行庵へ来訪されたのを機に、以上の内容が判明。吉田松陰先生の像も、喜んでおられることと思います。

※写真は、吉田松陰先生陶像。右の肖像画は、東行庵中興第三代谷玉仙尼です。

 

 

2020.07.30 山縣有朋公、月桂樹 手植えの意味

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東行庵清水山、史跡:高杉東行墓近くの広場に「公爵山縣有朋閣下手植月桂樹」裏には「明治四十四年十一月七日」と刻まれた石柱があります。なぜ、月桂樹を植えられたのだろうか、が疑問でした。月桂樹といえば、オリンピック、予定通りであれば東京大会開催中。をヒントとしました。

この碑のすぐそばには、”動けば雷電の如く 発すれば風雨のごとし…”の、東行先生の顕彰碑があります。顕彰碑の除幕はこの年の5月20日でしたが、山縣有朋は、病で出席できず、11月7日に訪れ、記念の植樹をした次第です。

では、月桂樹ですが、次の年、明治四十五(1912年)が第5回オリンピックの開催で、日本が初参加。金栗四三と三島弥彦の二人が、日本海を船で渡り、シベリア鉄道を経て参加しています。二人に優勝を願って月桂樹を植えたのではないでしょうか。過大な推論ですね。月桂樹の大きさは幹回り1・5メートル、高さは20メートル近くあります。

 ※金栗四三は、27キロ地点で倒れましたが、その後、えー、というエピソードがあります。

 それは、皆さんの検索のご褒美と、いたしましょう。

2020.07.18 名残を惜しむ ”花ハス”

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梅雨のさなか、花ハスは数百の花を咲かせ、蓮華の花園を演出していました。しかし、細くたくましい雨粒が容赦なく降りつけ、悲しく耐えている日々でした。そんな中、早朝から、多くのカメラマンが、望遠・三脚をかまえ、真剣に取り組んでおられる姿が見られました。

7月18日現在、まだまだツボミも多数ありますが、実をつける茎も見えます。花の数は盛りを過ぎましたが、月末までは、このように多彩な園をご覧いただけると思います。

ハスは、花が散ると中心から実が現れ、蓮実(レンジツ)と呼ばれます。一見、ハチの巣状ですが、趣ある風景ともいえます。

 

 

 

 

 

 

2020.07.03 雨ニモ負ケズ 咲く。

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梅雨末期、重たい雲がたれこめ、細い雨粒が水面に輪を描いています。それを背景に、雨に負けていないよ。とばかりに咲く花ハスです。自然は美しいひと時を演出してくれますね。感謝です。

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